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良いものが出来るような気がする。なんの根拠もないしまだそんなに準備もしてないけど。そんな気がするし、できるだけ良いものを作れるように頑張りたい。
秋桜を聞いて自然と涙がこぼれるくらいには大人になった。大きくて力強い手に包まれながら、小さくてやさしい声でいろんな歌を聞かせてくれたこととか。毎晩鳴り止まないギターの音と、近所までだだ漏れの大きな歌声とか。歌詞の意味も分からんのに、それを真似して何度も繰り返して歌ったこととか。大量のカセットテープや楽譜が無造作に積んである部屋とか。そういうものをぼんやりと思い出す。
明らかにそこに愛がないのに、なんで一緒にいるのかが私には分からない。我慢と落胆の連続で、毎晩ひとりでこっそり涙を流しても、人生を共にするなんてできないなあと思う。
常に流れる張り詰めた空気とか、弱音を吐き出す時の話し方とか、もうたくさん。でも、こんなの息が詰まるって思っても、これ以上にもこれ以下にもなりたくないし、このままでいいんじゃろうなって思ったりもする。どうにかしようとも思わんし逃げ出したりすることもない。これが、そういう形なんだって、結局は納得するしかない。
みんながそれぞれお互いに思いやりを持って生きていけばきっと。なんて話でもない。歩く方向がぴったり同じでないと、違うんだって思うことなんていくらでもあるから。
もし、もうこの人しかおらんと思ったとしても、いつかはこの人とは一生理解し合えないと思ってしまうものなんじゃろうか。今はそれがすごくこわい。
誰のことも好きじゃないけど、最低なんて言葉はもう言わんでって感じだ。
たのしみ。ってお互いが思える時は、だいたい良いものができる。絶対に良いもの作る。